辛さから甘さへ

辛さから甘さへ

砂糖の需要が高まった理由は、香辛料への嫌気だけではありません。
貿易の拡大とともに、コーヒーや茶、
チョコレートといった砂糖を必要とする飲料が世界各地で飲まれるようになったのです。
砂糖の原料であるサトウキビをヨーロッパ諸国に伝えたのは、またしてもイスラム商人でした。
イギリスやフランスは、自分たちの植民地にプランテーションを耕作します。
プランテーションとは、安価な労働力によって賄われる大規模農場のことです。
アフリカ人や先住民が、奴隷として労働を強いられました。
奴隷の生活には大きく2パターあります。
1つは、食料を経営者から供給される代わりに、
多くの時間をプランテーションでの労働に費やすというものです。
もう1つは、奴隷に土地と休日を与えて、
自分たちが食べるために必要な食料を作らせるという形式になります。
農業の機械化が成されていなかった時代は、
こうした奴隷たちの働きによって食物の生産は支えられていたのです。
砂糖が知られるきっかけとなったコーヒーや茶の生産も、徐々にプランテーションへと移行されていきます。
厳しい労働環境で生きてきた奴隷たちは、

入植してきた国々に影響を受けながらも独自の食文化を切り開きました。
ペッパーポットといわれる西インド地方で食べられていたシチューに似た料理は、米国やブラジルまで普及していたほどです。
フランスやスペイン、西アフリカなど、様々な国の食文化が混然一体となったクレオール料理が生まれたのも、この頃といわれています。
帝国主義を極めたヨーロッパ各国によって、世界の食が大きく動き出した時代でした。