世界は食で回っている!新たなる味を求めて

食から見える社会性とは

娯楽という概念が無かった遥か昔、
人々は食べるためだけに生きていたといっても過言ではありません。
動物を狩り、木の実や野草を採集するという生活は、とても不安定なものでした。
安定的に食料を確保したい。
そんな思いから始まったのが農耕や牧畜です。
四大文明があったといわれる地域は、大きな川に面しているという共通点があります。
川が流れるということは、大地が肥沃な証拠です。
食料の生産に適した地域には、自然に人が集まります。
飼料となる穀物が生産されると、家畜を飼うという習慣が一般的となりました。
医学や栄養学が発達していなかった時代は、食に関する認識も土地ごとに異なっています。
例えば中国では、紀元前から食材に風味を付ける調理法が存在していました。
食への関心も高く、孟子や孔子といった人物までもが食に対する教えを残しています。
一方でローマ帝国の人々は、野菜はなるべく生のままで食べることを基本としていました。
野菜は太陽によって既に調理されているものと考えたのです。
東洋と西洋の中心に位置していた中近東では、
各地域の特色を合わせた独自の料理が誕生しました。

農耕を生業とした定住生活を送る人々は、
遊牧民族に比べてタンパク質の摂取量が低い傾向にありました。
そんな中でも生きてこられたのは、
大豆やソラマメから植物性タンパク質を補っていたからです。
貨幣が存在しない時代においては、
食物をどれだけ生産できるかが豊かさの証となります。
国家による統制がままならない地域で、
貧富の差が拡大するのは当然の流れといえるでしょう。
 

 

 

食糧貯蔵社会の誕生

航海技術の発達とマゼランによるアメリカ大陸の発見は、世界の食文化を一変させる契機となりました。
スペイン人はアステカ、マヤ、インカなどの帝国を短期間で征服します。
新たな大陸から運び込まれた食物が、ヨーロッパ各国で栽培が試みられたのです。
食料の栽培が安定すると、今度はそれを如何にして保存するかが問題になってきます。
そこで登場するのが香辛料です。
三大香辛料といわれるクローブ、
ナツメグ、メースはオーストラリア北部のごく限られた島でしか生産されていませんでした。
三大香辛料は、イスラム商人によって南インドを経由しヨーロッパ各地へと運ばれていきます。
香辛料の有益性に目を付けたヨーロッパ各国は、
インド洋における覇権争いを開始するのです。
その中で特に力を発揮したのはポルトガルでした。
イスラム商人の船舶を襲撃する、商人同士の対立を煽り低価格で買い取るなどして、
16世紀半ばには世界の香辛料貿易の大半を手中に収めたのです。
しかし、クローブ生産者らの反乱に遭うと、ポルトガルの勢力は衰えていきます。
その後、香辛料貿易でイニシアティブをとったのはイギリスやスペインとの争いから抜け出したオランダです。
オランダ東インド会社を設立し、

クローブの名産地であったバンダ諸島の住民を奴隷にするといった行動に出ます。
オランダは欧州だけでなく、アジアでの香辛料貿易も独占していきました。
しかし皮肉なことに、香辛料貿易を推し進めた結果、ヨーロッパでの需要が下火になっていったのです。
辛い味に飽きた人々が欲するのは甘みです。
今度は砂糖を中心とした覇権争いが勃発します。
 

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